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2011年3月12日土曜日

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震

14時46分頃、三陸沖でマグニチュード8.8
(その後、9.0に訂正)という
国内の観測史上最大の地震が発生した。

当時、私は職場のビルの中にいた。
緊急地震速報が鳴って、その画面を見ると「震度5」か「震度6」だったと思う。
しばらくして、実際に揺れがやって来た。
はじめは「緊急地震速報は空振りが多い」と余裕をかましていたが、
段々しゃれにならないくらいの激震になってきて全員パニックに陥った。
多くの人は机の下に潜り込んだが、一部の人は外へ逃げようとしていた。
私は「外へ出るな!」と叫んでから机の下に入ったと思う。
揺れは2分くらいあっただろうか。
建物は激しい揺れとともにミシミシとなり続け、埃で視界は白っぽくなり、
倒壊するんちゃうかーっと本当に人生の終焉を覚悟した。

揺れがおさまると地震速報が届いた。
宮城県で「震度7」、ここ千葉県北西部でも「震度5強」にびっくり。
同時に、最悪なのは「大津波警報」が出た。

建物内は所々で壁がはがれたり落ちたりしいた。
同僚が外から帰ってきて、駅前は液状下現象で水浸しとのこと。

周りの会社は臨時休業したようだが、
交通機関はストップしているので、いわゆる帰宅難民が溢れていた。
強い余震も断続的に起こった。
死者・不明者は1500?人超とのニュース
その多くが大津波にのみ込まれたようだ。まさに地獄絵巻。

地震はいつやってくるか分からない とよく言うがそりゃそうだ。
非常食、揺れ対策、連絡手段、帰宅手段…
地震国の日本に住んでいる限りは
日頃からしっかり備えなければならないと痛感した。
最後に、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。